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タイ料理の輸入販売を

はじめるきっかけ

アマラー先生:1969年に帰国してからしばらく過ぎた1982年のある日、ポストにタイ料理教室とイベントを案内する一枚のチラシが入っていました。二子玉川(東京都世田谷区)の広場で何カ国かのお惣菜を出すイベントで、ポワン・カム・シュミッツというタイ人女性がタイ料理を出すと書いてありました。イベントまで待ちきれなかったので、彼女に会いに松濤(東京都渋谷区)のご自宅を訪ねました。「自分はタイには住んでいたけど、作り方が分からない」と伝えたら、「ちょうど自宅で料理教室をしているからいらっしゃい」と仰ってくれました。でも当時、日本ではなかなかタイの食材が手に入らず、ガパオの代わりにシソを使ったり、ナームブアイ(タイの梅ソース)を梅干しを塩抜きして作ったりしていました。お教室でもいろいろと不便がありました。

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日本もタイも主食はお米

料理に親和性がある

そんな折、現・アライドコーポレーションの前身である会社(アライドシッピングコーポレーション)と出会いました。お花の蘭などの輸入をしていましたが、一部トムヤムクンのキューブ(スープの素)などのタイ食品も輸入しており、食材を分けていただくために出入りするようになりました。そしてタイ料理教室にいらしていた生徒さんにも、レモングラスやバイマックルーなどを少しずつお教室で売ってくれるようになりました。日本もタイも主食はお米ですから、お料理に親和性があります。私は「これはビジネスになる」と思うようになりました。自分自身がタイ食材に困っていたこともあり、私がその会社に入ってタイ食材を販売するようになりました。
でも、はじめは大変でした。得意先がなかったので、タイ料理店をはじめ、外国人しかこないエスニック食材店や、海外経験の豊富な日本人が多く訪れそうないわゆる高級スーパーを一軒一軒訪ねました。「この調味料はこうやって使うんですよ」とレストランのシェフなどに作って見せながら、商品説明をして営業していました。そんなある日、東京・青山のCAYというレストランが、ココナッツミルクを一度に10ケースも注文しくれました。早速、会社に電話で報告していたら、嬉しくて、自然と涙がポロポロこぼれたことを覚えています。

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タイでのビジネス経験のある夫が

会社を引き継ぎ社長として参画

事業をタイ食材の輸入販売に一本化し、タイでのビジネス経験がある夫が、新社長として会社を引き継ぎました。しかし、新体制での船出は決して穏やかではなく、資金がショートしそうで大変でした。しかしある日、転機が訪れます。「日・タイ修好宣言調印100年」を記念して、有楽町の西武がデパート全体でタイフェアを開催することになり、私たちも物販で参加しました。そこに新宿の小田急百貨店のバイヤーさんがいらして、「私たちも開催するので出店していただけませんか?」とお声がけいただき出店しました。これはタイ王国大使館や朝日新聞社等が協賛した、大きなイベントです。期間中は、在日のタイ人の方が本当にたくさん押し寄せて、商品を何度補充しても足りないくらい、飛ぶように売れました。タイ人のアルバイトを雇って、家族総出で対応しても物凄い忙しさでした。催事が終わってから、あまりの疲労に夫婦そろってダウンしました。厳しい経営状況でしたが、この売上のおかげで持ちこたえることができました。1986年のことです。

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他社に負けない強みがあったから

成長できた

その後、明治屋さんや成城石井さん、紀伊国屋さんなど、販路を広げていくことができました。また西武百貨店さんからもお声がけいただき、のちに無印良品さんともお取引するようになりました。もちろんタイ人のコミュニティも大事なお客様です。会社が軌道に乗るまで、大変な日々でした。私たちより先にタイの食材を売っている業者はありましたが、より安く商品を提供するインフラを構築でき、日本人消費者にタイ料理の作り方をレクチャーできて、日本とタイの事情に精通しているという強みがあったから、成長できたのだと思います。

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