アマラー先生:先ほどお話したとおり、日本在住のタイ人、ポワン・カム・シュミッツ先生にタイ料理を2年間ほど習っていました。ですが、彼女のご主人はアメリカ人だったため、ポワン先生のタイ料理はアメリカナイズドされている部分がありました。自分が求めるタイ料理とはちょっと違うな…と思い始めたとき、ポワン先生からバンコクのタイ宮廷料理レストラン「ブサラカム」のチーフシェフのブンチュー氏を紹介していただけることになりました。それでポワン先生に「私はまず伝統的な料理を習わないといけないと思う」と伝えたら、「ブンチュー氏のところに行きなさい」と快く返答していただき、43歳の時から、タイに年2回・2週間ずつ通いはじめました。主人はとても協力的で、ブンチュー氏にタイ料理の指導をしてもらえないかと、私の熱意をきちんと伝えて繋いでくれました。またもう一人、国立大学・スワンドゥシット大学のアマラポーン教授も主人が繋げてくれて、タイの地方ごとの食文化を深く学ぶことが出来ました。ブンチュー氏も、アマラポーン教授も、マンツーマンで13年間教えて下さりました。最初にタイ料理を教えてくれたポワン先生も含め、私は師に恵まれて、本当に貴重な時間を過ごすことが出来ました。
友人から「料理雑誌『dancyu(ダンチュウ)』の取材を受けるので、その際にタイ料理を作ってくれない?」と頼まれて作ったんです。そうしたら、後日私にもdancyuから取材の依頼がきました。その次に、『家庭画報』でタイ料理を紹介するページをご提案いただき、徐々にメディアのお仕事が増えていきました。
またその当時、日本にはタイ料理の本格的な料理書がなかったので、ポワン先生に「タイ料理の本がなければ発展しないから作ろう。レシピは私が訳すから」と持ちかけ、出版社に企画提案をしました。一度は「食材がまだ手に入りにくいから」と断られ、残念なことにその年にポワン先生が亡くなってしまいました。でも、彼女の遺志を引き継ぐ意味でももう一度提案し、今度は「私の会社でタイ食材の輸入をしはじめたので」とお話し、柴田書店から『私のタイ料理』を出すことが出来ました(1992年)。印税をいただけましたが、このお金は私が一人でいただいてはいけない。育ててくれた先生方へお礼をしなければいけないと思い、そのお金でブンチュー氏を日本にお招きしました。
『私のタイ料理』以降もたくさんご縁をいただき、雑誌の付録の小冊子なども含めると、多くの出版物に携わらせていただきました。またNHKの朝の情報番組など、テレビ番組でタイ料理の作り方をご紹介する機会も幾度となくいただきました。
会社でタイ料理の催しをすると、「お教室はないんですか?」と聞かれることが多くありました。1993年に広いお家に越したのを機に、お教室をスタートしました。今も続いていて、最古参は30年以上いらしています。今ではスーパーでタイ料理のお弁当や総菜を見かけることも多く、日常に浸透していると感じています。これは凄いことです。私たちはそうなることを願って仕事をしてきました。一家に1本のナンプラー、週に1品手作りのタイ料理が並ぶことが、私たちが思っているタイ料理の普及です。この思いは現社長である息子もしっかりと受け継いでくれています。主人が残してくれた「タイと日本を食でつなぐ」というミッションはまだ終わっていません。これからはYoutuberになってタイ料理を世界に向けて発信しますよ。テロップは英語で載せてね(笑)。